• お金を貯めるために夢を持て?熱くて実践的な節約論

    飛騨高山から帰ってきて、すっかり現実に戻りました。お金が欲しい。今のところ悩みはこれ一つです。お金を増えすには収入を増やすか、支出を減らすかの2択です。とはいえ収入を今すぐ増えすのは難しい。かなり長期スパンで考える必要がります。今すぐできるのは支出を減らすこと。ということで本棚に眠っていたこの本を再び手にとることになりました。横山光昭著の90日で貯める力をつける本です。

    この本のいいところは、ただ支出をケチることを推奨しているわけではないところです。この本で協調されているのは、何のために貯金するのか、ゴールを明確にすること。将来の不安ではなく、未来の自分の可能性のために貯めることが大切だと著者は言います。動機がネガティブかポジティブかで結果は大きく変わるとも。僕は目が啓かれる思いでした。

    この本に書かれている方法は非常にシンプルです。毎日の支出を記録し、消費・浪費・投資に分けるだけ。消費は生活に必要な経費。食費や日用品ですね。浪費は無駄な支出。使っていないサブスクや、過度なギャンブルや酒がこれにあたります。投資は未来の自分のために使う支出。本やジムの経費、習い事の費用です。

    ここでのポイントは人によって、消費・浪費・投資の基準は変わるということです。旅行は人によっては浪費になりますが、知見を増やし人生を充実させるという意味では投資です。しっかりと自分軸を持って消費・浪費・投資の基準を決める。そうすることによって貯める力は伸びるそうです。

    前に読んだお金の教養の本でも感じたのですが、著者にはお金は自分の人生を充実させる道具であって、人生をお金を貯める道具にしてはいけない、という考えが根っこにあると思います。過度な節約をするのではなく、人生の目標や夢を持ち、それを叶えるためにお金を貯める。青臭く感じるかもしれませんがそれがお金の本質なのかもしれません。

    この本にならってまずは90日間、家計を記録しようと思います。アプリで記録はしていたんですが、消費・浪費・投資の視点はなかったので参考にします。なぜか知らないけど貯金ができないと悩んでいる人にはおススメの本ですよ。

  • 飛騨高山に行ってきました!

    彼女と1泊2日の飛騨旅行に行ってきました。本当は2泊3日で上高地にも行く予定でしたが、上高地が11月で閉山することを10月に知り、慌てて旅館をキャンセル、急遽飛騨高山のみの旅行をすることに。さらに特急ひだの特急券を旅行2週間前に紛失、買い直すはめになりました。ADHDの特質が大爆発です。旅は人の本性が出るって本当ですな。彼女には迷惑をかけましたが許してくれました。

    が、災い転じて福となす。万事塞翁が馬。結果的にスケジュールに余裕ができゆったりとした旅ができました。旅の時はわりとタイトにスケジュールを詰め込むタイプだったのですが、今回初めてゆったりとした旅の魅力に気がつけました。

    飛騨の旅で衝撃を受けたのはなんと言っても食の旨さです。最初に食べた飛騨牛串の衝撃たるや忘れられません。他にも肉寿司、ステーキ、温プリン、高山ラーメンなどいろいろ食べましたが、全部美味。外れが一つもなくてびっくりしました。大阪出身ですが、食い倒れの看板は喜んで譲ります。それぐらい旨かった。

    他にも古い町並みをぶらぶら散策したり、日枝神社や高山陣屋に行ったりと充実した旅でした。いやあ、旅っていいですね。

    そして氷菓です。すみません。なんかついで感出すぎですね。ちょっと書き方考えます。

    氷菓の舞台は実は飛騨高山。小説は架空の街ということになってますが、これは公然の事実です。氷菓は学校を舞台にしたミステリーです。いわゆる日常の謎というジャンルに入ります。日常の謎とは人の死なないミステリー。大きな事件は扱わず、小さな謎に挑むミステリーです。「なんでいつも館で殺人事件が起きるの?」「名探偵って、刑事でもないのになんでしゃしゃりでるの?」「外部に連絡入れたらいいのに」など、ミステリーのお約束にいちいちツッコミを入れたくなってしまう人にはおススメのジャンルです。どこにでもありそうな学校が舞台というイメージで読んでいたので飛騨高山が舞台と思って読んだらまた趣が変わりました。ここが日常って贅沢やね。

    作者の米澤穂信さんは「15%の人が解けるミステリーを書く」のがポリシーだそうで、論理的に伏線を読み解けば謎は解けるそうです。僕は分かりませんでした。凡庸な75%の人間です。

    飛騨高山も氷菓もどっちも良かった。古典部シリーズを片手に飛騨高山旅行はいかがでしょうか?

  • 文学は暗い?先入観を吹き飛ばす笑える小説

    みなさん、文学と聞いて何と連想しますか?なんとなく暗い印象を受ける方がほとんどなのではないでしょうか。たいがい作家の写真って、眉間に皺寄せて難しい顔してる場合が多いですもんね。

    しかし、どっこい、世の中には笑える文学というものが存在するのです。

    今回は世間の文学のイメージとは反対の、明るくテンション高めの笑える文学を集めてみました。

    1 夫婦茶碗 町田康

    はい。町田康です。またかよと思われても好きなので仕方ありません。実際笑える文学では筆頭に立つのではないでしょうか。

    この小説は貧乏で怠け者の私が嫁に逃げられ、一発逆転を賭けて、珍妙なビジネスを始めたり、メルヘン作家を目指して失敗する、ただただダメな男が失敗していく話です。例によって躁病患者のようなハイテンションな文体で、ひたすらナンセンスな失敗を繰り広げていきます。それが滑稽で笑えます。文体が独特なので慣れないとしんどいかもしれませんが、慣れたら中毒必至です。

    2 金払うけど素手で殴らせてくれないか? 木下古栗

    タイトルから分かる通りシュールな小説です。笑いの種類が町田康とは少し違い、不条理な感じです。M本H志のコントみたいと言えば伝わるでしょうか。

    失踪した米原正和を米原正和本人が探すというところから小説は始まります。この時点でかなりシュールですね。かなり不条理な展開が続くんですが、文章はかなり端正でキレイです。そのギャップもすごい。真顔でボケ続けるような狂気を感じられます。

    3 太陽の塔 森見登美彦

    鬱屈した青春時代を過ごした人なら、笑えて泣けるかもしれません。好きだった恋人にフラれた主人公が、それを受け入れれずストーキングを続けるという、要約すると身も蓋もない話なんですがこれが笑えるんです。文体が一つの発明と言えるぐらい良くて、古めかしい日本語を使ってるんですがそれが滑稽味を出して面白いです。この文章が偏屈なストーカーを、憎めなくて愛嬌のある青年に見せるという奇跡を起こしています。

    4 シン・サークルクラッシャー麻紀 佐川恭一

    作者は一部界隈では黒い森見登美彦と呼ばれています。躊躇なく下ネタをぶちこんでくるのがこの作者のスタイルです。一人のすごいエロい女子が文芸サークルに加入し、男たちを惑乱していくというのが大筋ですが、筋なんてどうでもいい破壊力があります。しかし、これは文学なのか?と思わずにはいられません。面白いからいいけど。

    5 魔法少女ミラクリーナ

    僕は天然ボケ最強説を唱えています。芸人がどれだけ技巧をこらしても、本気で狂っている人には敵わない。この小説にはそれを感じます。主人公は36歳のOL。自称魔法少女です。かなりやばいですね。彼女はメンタルの危機が訪れると、コンパクトを開け魔法少女に変身します。もちろんそのことは親友以外には言わない分別は持ち合わせています。この秘密の儀式が彼女のメンタルを保っていたのですが、ひょんなことからモラハラ男がこの儀式に参加することで歯車が狂い始めます。なんというかおかしな人に出会った時の、笑いと一抹の後ろめたさを味わえます。読み心地はポップで面白いです。

    以上、僕の中で笑える文学を5作紹介してみました。文学なんて辛気臭いもの読みたくないと思っている人にぜひ読んでもらいたいです。文学の定義が変わると思いますよ。

  • 嚙み砕く天才による哲学入門書 難解な哲学がスラスラ分かる

    みなさん、哲学と聞いて何を連想しますか?難解、何言ってるか分からない、自分には縁の無い世界。そう思う人が大半ではないかと思います。しかし、何やら怪しげな魅力があるのも事実。ビジネス書でも最近哲学の本がブームです。

    かくいう僕も哲学に挑戦してみたことがあります。最初に挑戦したのは大学3回生の頃。鬱屈した学生生活を送っていた僕は、大学の図書館に籠ってとりあえず気になった本を片っ端から読むという生活を送っておりました。人生の第一次氷河期です。

    そこで哲学の本に挑戦してみようかという気が起こり、試し図書館にあったヘーゲルの精神現象学を手に取って読んでみました。一読して戦慄しました。意味が分からない。日本語なのに。

    「事物が<私>である。実際この無限判断にあっては、事物は廃棄されてしまっている。」

    みなさん分かりますか?僕は分かりません。今になっても。この調子の文章が延々と続きます。僕はそっと本を閉じました。後になって分かりましたがこの精神現象学という本は世界一難解な哲学書と言われているそうです。試しに近場の山でハイキングするつもりがいきなりエベレストにぶちあたってしまったのです。僕はこのトラウマにより長らく哲学から遠ざかってしまいました。

    二度目の挑戦は社会人になり、会社をクビになった時にやりました。人生の第二次氷河期です。僕は人生の壁にぶつかると哲学を欲する傾向があるみたいです。

    その時挑戦したのはハイデガーの存在と時間です。無謀にも入門書ではなく岩波書店の原文に忠実なやつを読んでしまいました。本を開いたときにあの恐怖が蘇ってきました。

    「現存在たる世界内存在は、存在論的差異により存在者を存在者たらしめる存在を・・・」

    僕は再び本をそっと閉じました。その後も精神障害の発症、発達障害の判明、と壁にぶち当たるたびに哲学書を読み、哲学の分厚い壁に跳ね返されるということを繰り返してきました。この人たちは意味を理解されたら負けだ、と思ってわざと難解にしているのではないかと逆恨みをしました。

    それから歳月を経て、書店に就職し、精神的に安定したとき、たまたまバキのイラストが書かれたこの本に出会いました。あの日の苦い記憶が蘇り、本を手に取るのをやめようかと迷いましたが、最初の数ページを読んでみました。驚きました。日本語が読める!文章の意味が理解できる!当たり前のことですが哲学の本では奇跡的なことです。僕は一日でこの本を読み終わりました。

    分かる!分かるぞ!僕は心の中で喝采を叫びました。

    例えばヘーゲル。何を言ってるかどころか一文すら理解できませんでしたが、この本によるとヘーゲルは弁証法という方法論を確立した人らしいです。弁証法とは何かと言うと、いわば意見のトーナメント。「あれは丸い」という意見と「いや四角だ。」という意見を闘わせ、「いや、あれは丸くて四角い円柱だ!」という新しい発想を生み出す考え方です。ヘーゲルによれば歴史も弁証法的に進むらしいです。昔は独裁的な王政社会があり、それに反対する市民の革命が起き、民主主義社会が生まれた。そのように社会も革命を繰り返し発展していくと。なんだそれが言いたいならそう言ってよヘーゲルさん。僕はやっと難解なヘーゲル哲学のしっぽを掴むことに成功しました。僕は勝手に著者の飲茶さんを文筆界の池上彰と認定しました。

    遥かに遠く険しい哲学の山々を一望できる地図のような本でした。まだこの山を登りたいとは思えませんが、またいつか登りたいと思った暁にはこの本をコンパス代わりに持って挑戦してみたいと思います。

  • 人はなぜ走るのか?その答えがここに!

    淀川市民マラソン走ってきました。タイムは3時間46分46秒。自己ベストを更新しました!

    今回はマラソンはきつかった。途中までは3時間30分のペースで走れていたのですが、27キロ付近から失速。足が痛くなり、何度も立ち止まろうかと思いました。30キロ付近で頭をよぎったのは「なんでオレはこんな辛いことをやっているんだ?」という言葉でした。

    「なんで金払ってそんなしんどいことするん?」マラソン走ったことがある人なら一度は言われたことがあるのではないでしょうか?その質問に明確な答えを出せたことがありません。タイムが更新されるのが楽しい。自分が成長している感覚がしてやりがいがある。いろいろそれらしい理由をつけるのですが本当にそれが本心なのかはよくわかりません。

    そんなときに出会ったのがBORNTORUNという本です。この本は100km以上のマラソン、ウルトラマラソンのランナーと、メキシコの走る民族と呼ばれているタラウマラ族がレースするという内容です。

    これノンフィクションなんですがめちゃくちゃ面白い。文章は慣れるまで読み辛いんですが、慣れてくると出てくる人物のキャラクターと、走る描写に引き込まれていきます。なにが面白いかと言うと出てくる人物のキャラクターが強烈なのです。

    「人間は裸足で走るようにできている」という哲学の元、ベアフットランを続けるベアフッド・テッド、ジャック・ケルアックを信奉し、無茶苦茶な生活を送りながら100K走るカップルジェンとビリー、タラマウラ族の生活に魅入られ彼らと生活する変人カバーヨ、そして驚異的な持久力を持ち一度に160km走ることができる民族タラマウラ族。

    事実は小説より奇なり、と言いますが、こんな人間ホンマにおるんか?という人間が次々と出てきて飽きさせません。そしてフルマラソンを軽々超えるウルトラマラソンを喜々として走るランナーの描写に忘れかけていた走る喜びを思い出しました。

    「もう無理」という言葉が出かかったときに思い出したのが、このBorn To Runという本のことでした。僕はペースを見ることをやめ、目の前のランニングに集中することにしました。1km、1km重い足を引きずりながらも走り続けゴール。終わってみれば自己記録更新を達成できました。

    ある意味、ランニング技術の本よりも僕を後押ししてくれた本でした。「なんで金払ってそんな苦しいことするのか?」と疑問に思う人も、「なんでこんな苦しいこと休日にやってるんだろう?」と疑念にかられてしまったランナーも読んでみて欲しい本です。きっと走りたくなりますよ。

  • 歌舞伎を観に行きました!

    国宝の影響で歌舞伎に興味を持ち、先週京都の南座で彼女と歌舞伎を観に行きました。

    席は一番上段の端の席、そこから役者が見えるのか不安でしたが、想像以上に見晴らしが良く全体を見渡せるので良かっです。

    「歌舞伎は長い」という口コミをネットで見かけたので覚悟していたのですが、演目ごとに休憩があり、メリハリが効いていたのであっという間に終わった感じがしました。

    演目は3つあり、「二人藤娘」「菅原伝授手習鑑」「荒事絵姿化粧鑑」の3公演でした。

    産まれて初めての歌舞伎だったので途中で寝ないか不安もあったのですが、そんなことなく終始楽しんで観れました。

    セリフがおそらく江戸時代の言葉なので、正直ストーリーはまったく分かりませんでした。フィーリングで、「恋した娘がおどってるんやな」「敵討ちの話やね」「強い武将が敵を袋叩きやな」と完全に感覚でストーリーを妄想しました。合っているかはわかりません。じゃあ何が面白かったかというと、それは歌舞伎独特の雰囲気としか言いようがありません。

    豪華絢爛な舞台や衣装、勇ましい見得、妖艶な舞い、そして役者が体で発する気迫のようなもの。その全てが観ている人を圧倒しました。まさに、考えるな感じろの世界。ストーリーが分からなくても面白いというのが発見でした。また観に行きたいと思うほど良かったです。彼女も大興奮していました。次はストーリーの予習をしてから行きたいと思います。

    さて。今回紹介したいのは国宝の花道篇。ついに完結篇です。

    本当に長い大河ドラマでしたが、面白くて一気に読んでしまいました。後半でも映画に出てこないエピソードがてんこ盛り。

    お世話になったヤクザの誕生日パーティーで舞を披露し、世間からバッシングを受ける喜久雄。それが逆に歌舞伎役者に評価され歌舞伎の世界にカムバック。市駒との娘の綾音が相撲取りと結婚。他にも映画に無いシーンが山ほどあります。改めてこの分量の小説を3時間にまとめた奥寺佐渡子の凄さを感じました。

    長い大河ドラマを見終えたときの充実感がありました。そのわりに文章が読みやすいせいかあっと言う間に読み終えた印象です。実は今まで映画と原作を見比べるということはあまりしたことがなかったのですが、今回やってみていろいろと発見がありました。改めて映画と小説は別物なんだと分かりました。映画は瞬間にメッセージを凝縮する打ち上げ花火のようなもの。無駄は徹底的に省き、物語を2~3時間の間に収めなければなりません。小説はむしろ時間と言葉を積み上げていって、一つの世界を組み上げていく建築物のようなものなのではないでしょうか。その違いが上手く活かされたからこそ、国宝は小説も映画もどちらも名作になったのではないかと思います。

    今回、改めて歌舞伎の世界の奥深さを知ることができました。次は曽根崎心中が京都の南座でやるらしいのでまた観に行こうと思います。今度はガイドブックを持った上でストーリーを理解して臨みたいと思います。

  • 国宝観に行きました。

    およそ一ヶ月前、映画「国宝」を観に行きました。

    国宝 青春遍

    一ヶ月前に映画の国宝を観に行きました。映画館は人がいっぱいで席は一番前の席しか空いていませんでした。首を上に向けて見なければいけなかったので集中できないかもしれないと思いましたが杞憂でした。

    圧倒的な映画体験でした。スクリーンから迫ってくるような役者の演技。役者を美しく撮る撮影技術。そして歌舞伎役者の業と崇高さを描ききったストーリー。すべてが破格でした。あまりにもいいので、後日もう一回観に行きました。

    芸に命を賭ける男たちの物語に胸が熱くなりました。なんといっても特筆すべきは吉沢亮と横浜流星などの役者の演技でしょう。実は僕はあんまり役者の演技の善し悪しがよくわからないんですが、この映画ではさすがに分かりました。
    役を演じながら、さらに歌舞伎を演じるという二重の演技を役者たちはやっています。離れ業だと思います。
    あまり語れていない印象を受けるのですが、ストーリーも良かったです。
    この映画は重要な見せ場がかなりあり、展開はかなりテンポよく進みます。日本映画は日常を淡々と積み上げていくタイプが多いのですが、国宝はメリハリが利いていて劇的です。おそらく歌舞伎の物語構成を意識しているのではないかと思います。

    映画があまりにも良かったので、原作の国宝も読んでみました。
    読んでみてびっくり。映画では描かれていなかったエピソードがかなりあるのです。というか映画では出てこなかった人物までいます。

    映画が歌舞伎役者の一瞬を切り取った劇だとするなら、原作小説は歌舞伎役者の人生を描ききった大河ドラマという趣があります。すごいことだと思いますがどちらもいい。

    比較してみると、映画と小説の本質の違いが分かるようで面白いです。
    映画にはやはり時間の制約があります。短い時間にどこまでエピソードを凝縮させるかが勝負なのでしょう。一方の小説は映像のように一瞬で分からせることができない。なので言葉を積み上げることで映像に負けない世界を創る。国宝は小説も映画もいい、という幸福な奇跡なのだと思います。
    原作を読んで、あれだけ膨大な情報量のある国宝を、3時間にまとめた脚本家奥寺佐渡子のすごさも分かりました。

    国宝の影響で歌舞伎も観に行きました。それもまた良かった。次回にまた書こうと思います。

    国宝は観ても読んでも損の無い名作だと思います。興味があれば、映画でも小説でも鑑賞してはいかがでしょうか?

  • ゴッホ展に行ってきました

    2週間前に彼女と神戸市立博物館にゴッホ展に行って来ました。博物館は朝だというのに人だかり。ゴッホの人気ぶりが覗えました。今回のゴッホ展では夜のカフェテラスが20年ぶりに来日するということで話題になりました。

    僕は5年前に夜のカフェテラスを鑑賞した気がするのですがあれはなんだったのでしょうか?20年前の記憶を5年前と錯覚したのか?まったく別の作品を夜のカフェテラスと思い込んだのか?謎です。

    さて。今回のゴッホ展はかなり見応えがありました。今回分かったのはゴッホの筆の多彩さ。ゴッホといえば、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」「星月夜」などの色が鮮やかで、波打っている絵の印象がありますが、今回の展示ではそれとは別の画風の作品が多くありました。
    まるで印象派と見まがう風景画。暗い色調の肖像画。浦沢直樹の漫画のような風景画もありました。
    ゴッホが代表作にたどり着くまでの筆跡が、物語のように並べられて良かったです。
    そして「夜のカフェテラス」。そこはもちろん人だかり。青と黄色の対比が綺麗で、実物よりも美しいのではないかと思ってしまいます。こんなカフェテラスがあったら行ってみたいですね。

    さて。今回紹介したいのは「知覚力を磨く」という本。
    絵画鑑賞を単なる娯楽ではなく、観察力を磨く手段として捉えたビジネス書です。
    実は若者の間で美術館離れが進んでいるそう。国立アートリサーチセンターの調査によると、15歳~25歳の若者の51・7%が美術館には全く行かないそうです。コスパやタイパを重視する若者には美術鑑賞は無駄なことだと思われているのでしょうか?
    だとすればこの本を読んで欲しいです。この本では絵画鑑賞は単なる趣味ではなく、観察力や発想力を磨くツールとして使えることを、数々のエビデンスを通して伝えてくれます。
    たった3時間の絵画鑑賞で、医学生たちの診断力が13%向上したこと。ノーベル賞受賞者の9割が美術鑑賞を趣味にしていること。イェール大学やハーバード大学などの名だたる大学が絵画鑑賞を必須科目にしたこと。

    ではただなんとなく鑑賞すればいいのでしょうか。著者によるとそうではなく、「観る」ことにもコツや方法があるそうです。そのコツは4つに分類されます。

    1 全体図を観る

    2 組織的に観る

    3 周縁部を観る

    4 関連づけて観る

    どういうことでしょうか?これだけ見てもなんのこっちゃですね。1つずつ見てみましょう。まず全体図を観るということですが、美術の訓練を受けていない人は人物や物の細部を観るのに囚われ全体をまんべんなく観ることをしていないそうです。たしかに僕も今まで絵の気になる部分だけみてまんべんなくは観ていない気がしました。一方、訓練を受けている人は全体をまんべんなく観るそうです。

    組織的に観るというのは、絵を複数のパートに分け、一つずつの詳細を観察し、さらにパートごとの関係がどう機能しているかを観察するということです。難しい・・・。4つのコツで一番難しく感じるところでした。

    周縁部を観るというのは、絵の隅や周辺の本来スルーする部分にもちゃんと眼を向けるということです。たしかに空白の部分ってさらっと流して見がちですよね。しかし、その空白が絵の構図上大事だったりするんですよね。

    最後の関連付けてみるということですが、これは絵を鑑賞している時点である程度脳内で誰でもやっていることだそうです。絵には説明がありません。どの時代のもので、どこの国のどの場所なのか、明確には記されていないのがほとんです。その空白を脳が自然に埋めようとするんですね。ここはあの場所に似ているとか、あの絵と描かれている空気感が似ているとか。僕はこの本を読んでから絵画を観るときは絵を最初に観て、解説は後から観るようにしています。たいがい観察して導いた推論は外れるんですが。

    と、ここまで述べてきましたが、ゴッホ展に行ったときはこの4つのコツをすっかり忘れて、ふつうに絵画を鑑賞してしまいました。いやあ、キレイやなあっと、凡庸な感想で終始終わっていました。まあ、それでも楽しめるのが美術鑑賞のいいところですが。次はちゃんと4つのコツを頭に入れて鑑賞しようと思います。

  • 万博に行ってきました!

    先日、母と一緒に万博へ行ってきました。弟と3人で行く予定でしたが、弟は予定ができ2人きりの日帰り旅行です。

    万博の人はすごい、と聞いて覚悟してたのですが午前中は許容範囲の人だかり。とにかく列の少ないパビリオンを見つけたら入る、という雑な戦略で11個のパビリオンに入ることができました。

    まわった感想は「万博というよりどっちかというと伝統工芸フェス」でした。

    東南アジアやアフリカ、南米のパビリオンを中心にまわったのですが、展示物は木彫りの人形や陶器などの伝統工芸が目立ちました。たまたまそういうパビリオンに行き当たったのだと思いますが。

    「どこも似たようなもんね。」母はパビリオンを一瞥して、辛辣な意見を投げかけます。このまま消化不良で終わるのか?万博の関係者でもないのに妙に緊張してきました。

    流れが変わったのはインドネシアのパビリオンに行ってからでした。ヨヤクナシデハイレルヨ、とカタコトで歌いながら踊るインドネシアのスタッフ。そこに一縷の望みをかけ入りました。

    パビリオンの中に入ると突然、ジャングルが現れました。密林をそのまま再現する展示に母は言いました。

    「やっと万博に来た!」本音大爆発です。

    そこから目が輝きだした母と一緒にパソナのパビリオンに行きました。iPS細胞の心臓や、空飛ぶ救急室の展示などを観て回りました。

    最終的に「まあ、来て良かった」と言った母に一安心。まあが気になりますが。70点と行ったところでしょうか。

    今回の万博で思ったのが、やっぱり未来を感じさせる展示をもっと見たかったかなと思いました。回ったパビリオンが伝統押しのパビリオンばかりだった、というのがありますが、やはり万博来たからには未来を感じたかったというのが本音です。

    そこで今回は未来を感じる世界のSF小説を紹介したいと思います。ある意味SFって脳内万博だと思うんですよね。SFが盛んな国は科学技術が発達しているとも言われています。世界のSFを読み比べてみましょう。

    アメリカ

    まずは真打登場。アメリカです。アメリカのSF小説生産量は群を抜いています。今回のブログのためにSF作家のウィキペデイアを調べたんですが、有名どころのSF作家はほぼアメリカかイギリス出身でした。それだけSFと科学が生活に根付いているんですね。

    そんななかアメリカ代表として紹介したいのがテッド・チャンの「あなたの人生の物語」。作家が多すぎるので悩みましたが、真摯に科学技術を扱っているところと、一番好きなSF作家なので選ばさせてもらいました。

    テッド・チャンの小説の魅力は科学技術のアイデアと人間ドラマが融合しているところです。SF小説あるあるですが、アイデアと未来描写は凄くても人間の描写がペラペラということがよくあります。作家の理系率が高いせいか、人間のエモーションを描くのが苦手なんですかね。テッド・チャンの小説は人物がアイデアを説明する道具になっていない感じがします。真摯な人間への眼差しを感じます。短編の中でのおススメは表題作の「あなたの人生の物語」。未来と過去と今を同時に感じられる宇宙人の言語を覚えたことで、未来が見えるようになった言語学者の話です。科学的描写による知的興奮と、運命を受け入れる母親の感動を同時に感じられる稀有な作品。科学描写が難しく感じられるかもしれませんが是非読んでもらいたい傑作です。

    中国

    続いて三体で一躍注目されるようになった中国SF。おススメは三体と言いたいところですが、なんせ長い。全部読むには分厚いハードカバーの本が5冊分あるので、気軽に薦めずらいです。

    なので中国代表として「折りたたみ北京」を紹介したいと思います。内容は読んで字の如く、大都市北京を折りたたむ話です。比喩ではありません。本当に街を折りたたむのです。

    なんという大風呂敷。リアルティなんていうみみっちいこと言わないのが中国SFの魅力なのではないでしょうか。ワンアイデアの出オチ小説かと思いきや、しっかりとなぜ北京を折りたたむ必要があったのかという設定があり、格差社会の風刺あり、人間ドラマありでしっかり読ませてくれます。

     

    チェコ

    最後に紹介したいのはチェコ。失礼ながら「えっ、チェコってSFあるの?」と思ってました。実はチェコはSFが盛んらしいです。なんせチェコSF短編集なるものが日本にもあるくらいですから。父はチェコに行ったことがあるらしいのですが、「街の美しさにびっくりした。」と言ってました。文化レベルの高い国のようです。

    紹介したいのはチェコSF短編集。チェコのSF短編ばかり集めたコアな本です。

    読んでみて思ったのは非常に多彩であること。ハードSFもあれば、ユーモア短編あり、ちょっとホラーなSFもありで読み手を飽きさせません。チェコ恐るべし。どの作品にも通底しているのは社会風刺の要素があること。チェコの歴史を紐解けば、もともと民主主義だった国がソ連に侵略されて共産主義になったという複雑な背景があります。共産圏で社会批判は命がけ。SFを隠れ蓑にして社会風刺をするという人が多かったようです。SFは絵空事、というイメージを逆手にとったわけですね。だから旧共産圏ではSFが盛んらしいです。おすすめの短編は「オーストリアの税関」です。列車に曳かれた男がサイボーグとして復活したものの、税関に引っかかり国から出れないというユーモア短編です。

    今回世界のSFを読み比べて発見がいろいろありました。なんだかんだ言ってSFは欧米が中心であること。中国のSFが今盛んであること。同じSFでもお国柄や文化が出てくること。科学技術が発達していない国ではSF小説がない(翻訳されていない)こと。

    各国の未来予想図が見れたみたいで面白かったです。みなさんも万博への道すがら世界のSF小説を読んでみてはいかがでしょうか。混んでてそれどころでないかもしれませんが。

  • 積読四天王の一角を読破しました!

    積読。未踏の山。果たされなかった約束。届かぬロマン。挫折の結晶。買ったものの未読のまま放置された本を積読と呼ぶのですが、筆者も本好きの例にもれず読破した本と同じくらい積読本があります。

    その中でも何度も挑戦し、そのたびにはじき返される本を筆者は勝手に積読四天王と呼び、畏怖し本棚に祀っていました。今日、その牙城の一角を崩しました。誰にも讃えられることのない個人的な偉業です。

    今回はあえてまだ読んでいない本、積読本、積読四天王を紹介します。読んでいない本を紹介するという、書評ブログにはあるまじき暴挙にうってでます。

    1 カラマーゾフの兄弟 

    本好きには説明不要の巨塔。ロシア、いや世界を代表する小説です。いやしくも本好きを自称するなら読んでいなければいけない本ですが読めていません。この小説を一言で要約することは不可能。父殺しを発端に、家族の愛憎劇、神学論争に発展していく、らしいです。前半で挫折したので断言するのはやめておきましょう。

    積読ポイント

    馴染みのないキリスト教について長々と論争するシーンでいつも挫折。この時代、宗教が重要な意味を持ち、熱く語れるトピックであることは伝わってきました。きっとこの先面白い展開が起こることは伝わってくるんですが、いかんせん宗教の素養がないので読み辛い。いつか読破しようと思います。

    2 青い脂

    これまたロシアの小説。あえて一言で言うなら文字で書かれた混沌でしょうか。ロシアを代表する作家がクローンとして復活、文学作品から抽出される青い脂を巡ってスターリンとフルシチョフが争奪戦を繰り広げる・・・・。なんのこっちゃですが、あらすじよりも実物のほうがなんのこっちゃです。

    積読ポイント

    とにかく文体がすごい。なんと中国語と作者のオリジナルの造語が混じっているのです。それを日本語に翻訳するという・・・・。文章の独創性のえぐみに加えて展開がシュールなのでより読み辛い。カラマーゾフの兄弟は頑張れば読めそうという希望を持てるのですが、この小説は一抹の希望すら持たせてくれません。

    3 死霊

    日本を代表する難解本。日本初の思弁小説だそうです。作者はこの小説を完成させるために50年の歳月をかけたとか・・・。ひときわ声が小さいのはまだ3行しか読めていないためです。ほぼ未読。読んですぐ、あかん、となり本を閉じてしまいました。

    積読ポイント

    3行しか読んでいないため、説明するのもあれですが、文章から漂う難解臭に怖気づきました。なんというのでしょうか、修羅場をくぐった剣豪の妖気というか、3行読んだだけで作家の「理解できるものなら理解してみろ」という気迫を感じてしまい、本を閉じてしまいました。

    4 族長の秋

    先日、やっと読破した積読本です。百年の孤独が面白かったので読んでみたのですが、異常にセンテンスの長い文体に絶句。息継ぎの少ない文章に難儀し、読むのを挫折していました。

    ただ、物語自体は面白かったのでいつか読破しようと思っていました。いつも夜に読んで寝落ちしていたので朝に切り替え読むなどの工夫をし、やっと読み終えることができました。長かった。

    いつか行こうと思っていた未踏の山を越えたような、充実した読書体験でした。いやあ疲れた。

    上記の積読本もいつか読んでやろうと思います。青い脂と死霊は読める気がしませんが・・・。