先日、彼女の実家に行った。気さくな方ばかりで和やかな会合になった。

そして彼女の部屋に行って卒業アルバムを見してもらった。彼女の卒業アルバムを見してもらいながら、僕は秘かに前例のない緊張を覚えていた。卒業アルバムを見せてもらったということは、いずれ卒業アルバムを彼女に開示する必要があるということだ。

卒業アルバム。

充実した青春を送っていた人にとってはこれは懐かしき記憶のミュージアムだ。それは愛でる対象であり、頁を捲ることになんら抵抗がない。しかし、充実と縁の無い青春時代を過ごした人間にとってはそれは開けてはいけないパンドラの箱だ。開けたら最後、封印された忌まわしき黒歴史の数々が魑魅魍魎の如く僕を襲い掛かってくるに違いない。

僕は彼女と2人で卒業アルバムを捲る準備として、1人で卒業アルバムを捲ることにした。トラウマを避けるのではなく少しずつトラウマと対峙する。暴露療法である。

僕は卒業アルバムに向き合いながら一つの可能性に懸けた。脳の編集能力は偉大だ。僕は学生時代の記憶がほとんどない。脳は自分に都合の悪い情報は削除するのだ。僕の走馬灯には学生時代の思い出がすっぽり抜け落ちているに違いない。つまり、僕が卒業アルバムを見ても参照する記憶がないので、なんら精神的損傷を感じないかもしれないのだ。

僕は卒業アルバムを開いた。一発目から僕の写真が出てきた。僕は餅つきをしていた。着ているTシャツには車に曳かれたタイヤ痕のデザイン。そして大きな太文字のローマ字。CRASH。

僕の脳はその瞬間、封印してきた記憶を蘇らせた。書きなぐったポエム、初恋ララバイをおかんに見られた中学1年生、エロ漫画を立ち読みしているところをダンス部の女子に見られた高校2年生、自分はスパイのエージェントだという妄想に取りつかれ謎の暗号を自作した中学2年生、ペアが見つからずたまたま来ていたひきこもりのA君とペアを組んだ発表会、女子との会話が「のりかして」だけだった高校3年生、次々と脳裏に黒歴史がフラッシュバックしてくる。

僕はゆっくりとアルバムを閉じた。今の僕には刺激が強すぎたようだ。アルバムは紛失したことにしようか。財務省のように僕の映っているところだけ黒字で潰してもいいかもしれない。

世の中には向き合わなくていい過去がある。そのことを痛感した一日だった。

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