嚙み砕く天才による哲学入門書 難解な哲学がスラスラ分かる
みなさん、哲学と聞いて何を連想しますか?難解、何言ってるか分からない、自分には縁の無い世界。そう思う人が大半ではないかと思います。しかし、何やら怪しげな魅力があるのも事実。ビジネス書でも最近哲学の本がブームです。
かくいう僕も哲学に挑戦してみたことがあります。最初に挑戦したのは大学3回生の頃。鬱屈した学生生活を送っていた僕は、大学の図書館に籠ってとりあえず気になった本を片っ端から読むという生活を送っておりました。人生の第一次氷河期です。
そこで哲学の本に挑戦してみようかという気が起こり、試し図書館にあったヘーゲルの精神現象学を手に取って読んでみました。一読して戦慄しました。意味が分からない。日本語なのに。
「事物が<私>である。実際この無限判断にあっては、事物は廃棄されてしまっている。」
みなさん分かりますか?僕は分かりません。今になっても。この調子の文章が延々と続きます。僕はそっと本を閉じました。後になって分かりましたがこの精神現象学という本は世界一難解な哲学書と言われているそうです。試しに近場の山でハイキングするつもりがいきなりエベレストにぶちあたってしまったのです。僕はこのトラウマにより長らく哲学から遠ざかってしまいました。
二度目の挑戦は社会人になり、会社をクビになった時にやりました。人生の第二次氷河期です。僕は人生の壁にぶつかると哲学を欲する傾向があるみたいです。
その時挑戦したのはハイデガーの存在と時間です。無謀にも入門書ではなく岩波書店の原文に忠実なやつを読んでしまいました。本を開いたときにあの恐怖が蘇ってきました。
「現存在たる世界内存在は、存在論的差異により存在者を存在者たらしめる存在を・・・」
僕は再び本をそっと閉じました。その後も精神障害の発症、発達障害の判明、と壁にぶち当たるたびに哲学書を読み、哲学の分厚い壁に跳ね返されるということを繰り返してきました。この人たちは意味を理解されたら負けだ、と思ってわざと難解にしているのではないかと逆恨みをしました。
それから歳月を経て、書店に就職し、精神的に安定したとき、たまたまバキのイラストが書かれたこの本に出会いました。あの日の苦い記憶が蘇り、本を手に取るのをやめようかと迷いましたが、最初の数ページを読んでみました。驚きました。日本語が読める!文章の意味が理解できる!当たり前のことですが哲学の本では奇跡的なことです。僕は一日でこの本を読み終わりました。
分かる!分かるぞ!僕は心の中で喝采を叫びました。
例えばヘーゲル。何を言ってるかどころか一文すら理解できませんでしたが、この本によるとヘーゲルは弁証法という方法論を確立した人らしいです。弁証法とは何かと言うと、いわば意見のトーナメント。「あれは丸い」という意見と「いや四角だ。」という意見を闘わせ、「いや、あれは丸くて四角い円柱だ!」という新しい発想を生み出す考え方です。ヘーゲルによれば歴史も弁証法的に進むらしいです。昔は独裁的な王政社会があり、それに反対する市民の革命が起き、民主主義社会が生まれた。そのように社会も革命を繰り返し発展していくと。なんだそれが言いたいならそう言ってよヘーゲルさん。僕はやっと難解なヘーゲル哲学のしっぽを掴むことに成功しました。僕は勝手に著者の飲茶さんを文筆界の池上彰と認定しました。
遥かに遠く険しい哲学の山々を一望できる地図のような本でした。まだこの山を登りたいとは思えませんが、またいつか登りたいと思った暁にはこの本をコンパス代わりに持って挑戦してみたいと思います。
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